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情報の海の漂流者

web上をさまよいつつ気になったことをつぶやいています。

例の朝鮮学校関連報道が特に問題である理由

に対して

というレスポンスをいただきました。
これに対する返信など。

例の報道で何が問題かというのは人によって違うのですが、以下の4点を全て満たしていることを重視している人が多いと思われます。


子供にした場合問題視されがちな取材
1.政治的な事柄に巻き込む行為
2.「事件発生」直後、信頼できる大人と相談して気持ちの整理をする時間を与えずに取材をしたこと
3.過度な取材を止められる大人がいない場で取材をしたこと
4.信頼関係を築いていない大人がデリケートな分野(人の死)に関わる取材をしたこと

ネット上においてこれらは単独ではあまり注目されませんが、複合していくと許容限界を超える人が爆発的に増えていきます。

gryphonさんはレスポンス記事の中でご自身のツイートを引用して以下のような主張をしています

gryphonjapan

いや記憶している限り、(※昭和天皇が崩御した年の)89年はカナダかどこかの日本人学校に普通に取材あり、普通に生徒答えてましたよ?翻訳記事ありましたから。しかし(続く)"@BeneVerba: 金正日死去ですかさず朝鮮学校のコメントとるメディアの神経を疑う。昭和天皇の死去に際して、

gryphonjapan

しかし朝鮮学校生に配慮を、という理由もわかります。それは、「その国の学校にその国の重要人物の死の感想を聞く」だけに留まるには、余りにも同校は総連、そして金体制と一体化し過ぎているから。余りにも一体の存在だからこそ、生徒たちには配慮しなければ "@BeneVerba:

gryphonjapan

なぜ朝鮮学校の生徒には、(カナダのメディアが日本人学校で昭和天皇の死の感想を聞いたような)取材は配慮を、と@h_hyonee @@miiin3 さんらが言うのかも、前記の「余りの学校、総連と現体制の一体さ」ゆえだと考えると分かりやすいかと。

比較

カナダの日本人学校の報道については不明な点も多いが、分かる範囲で比較してみましょう。

/ 日本人学校(昭和天皇)取材 朝鮮学校(金正日)取材
政治問題 現在の日朝問題ほどの緊張感はなく政治性は薄い 無償化問題で政治的焦点が当たっている
経過時間 当日取材されたのかが不明である 登校中に発生した問題について、その日の下校時に取材されたため、殆どの生徒は保護者と一度も話し合ってない状態であったと考えられる
保護者等 通常学校を取材する場合教職員が立ち会う 過度な取材を止められる大人がいない(場合が多い)下校中に取材を行った。
信頼関係 不明 定期的に交流して子供と信頼関係を構築していた形跡はない

カナダの一部メディアが日本人学校で昭和天皇の死の感想を聞いた取材と、今回批判されている報道では、悪質だと批判される要素の数が違います。
前者は許容範囲だが、後者はアウトだと考える人も少なくないでしょう。

今回の取材も日頃から取材を続けて交流があった記者が、子供の心が落ち着いた頃に改めて、先生立会の上で取材させてくださいと申し込み、学校側から許可を得た上で報道していたとしたら、これほどの批判は浴びなかったと考えられます。

例示されている他の例

gryphonさんはその他にも"子供(未成年)に政治的なことに関わらせるな、という議論"というテーマで幾つかの例を上げておりますので、それに対する見解。

から引用されているこれ


高級部一年の?彰秀(チョウチャンス)君(一六)は「最初に聞いた時は、無償化すれば少し楽になるねって母親と話した。後から除外って、それはないんじゃないかって思った。悲しみもあります」と話した。「拉致問題では北朝鮮も悪いことをしたと思いますが、歴史的経緯があって僕たちはここにいるのだから除外しないでほしい」


朝鮮学校生徒に、金正日死去の感想を取材することの可否、そしてとの理由付けについて - 見えない道場本舗

引用部から、家族と話あって意見をまとめるだけの、時間的猶予があったことが分かります。
また、gryphonさんが引用していなかった部分に

記者を見ると、口々に「こんにちわあっ」と明るくあいさつする。照れくさそうにほほえむ子も。


東京新聞「朝鮮中高級学校ルポ」文字起こし - vanacoralの日記

とあり、記者とのコミュニケーションが悪くない状態であると思われます。
内容的にも学校の監督下にある子供を許可を得た上で取材していることがうかがわれます。

それに対して、今回の産経新聞は勝手に取材しようとして追い出されたりしています。


大阪府東大阪市菱江の大阪朝鮮高級学校では、金総書記死去の特別放送があった19日正午過ぎ、職員ら約10人が教頭室とみられる部屋で、テレビのニュース番組を食い入るように見入った。「産経新聞の記者」を名乗ると教員らは「出ていけ」と一喝し、校外に連れ出すなど緊迫した雰囲気。


金正日総書記死去 在日社会揺れる 静まる総連「祖国が不安」 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

子供を取材するという点において、両者の批判要素の数に差があり、それが批判の強さの違いを生んでいると考えられます。

子供の政治的利用については

はてなやツイッターmixi等の、ソーシャルメディア上で子供の政治利用が単体で大きな批判を浴びることはあまりありません。
問題になるのは大抵、他の問題と複合した結果トータルで多くの人の許容度を超えてしまったケースです。
僕個人の許容度も、それ単独なら眉を顰める程度。心身への悪影響を及ぼす可能性が高い場合や、参加強制等、他の要素と複合した場合にはアウト、と考える場合が多いように思えます。
今回もそのケースであると考えられます。

余談になりますが

今回の事例のうち非常に特殊な例としては、現在20代後半から30代前半の男性の一定数が、子供の頃の嫌な思い出がフラッシュバックしてしまっているというケースがあります。
彼らは子供の頃、楽しい日常生活の途中に無理やり政治問題に巻き込まれた記憶があります。
昭和天皇死去(同一記事内では敬語や言葉の使い方は統一します)の時、当時人気があったスーパー戦隊シリーズ「超獣戦隊ライブマン」が放送中に特番と差し替えられました。
毎週楽しみにしていた番組が、しかも戦隊物のロボット合体シーンの途中で中断されたため、見ていた子はとてもショックを受け悲しい思いをしました。
ある種の人たちにとって政治問題の原体験とは、昭和天皇の死でありライブマンが見られなかった悲しさなのです。
(20年以上過ぎた現在でも時々話題になります)
そういう人達にとって偉い人の死が子供の日常生活(下校)を乱すことを許さないというのは、原点であり他人ごとではないのです。
(僕の周りには数名このタイプがいます)