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情報の海の漂流者

web上をさまよいつつ気になったことをつぶやいています。

こういう記事にブクマがつくことは期待しない

一読して「シロクマ先生らしい」記事だなぁと感じた。
この場面でこんな熱い記事を書くとしたら「はてな村の中ではシロクマ先生」が最適といえよう。
世の中には真面目に対応した方が良い案件があり、こいつはその類である、というのも至極もっともである。
しかし……もっともなのであるが……どこか引っかかる。


コミュニティがある程度長く続くと、構成員の立ち位置や役割が確立されてくる。
「はてな村」の場合、otsuneさんはそのネットウォッチ力をネタ化され、モヒカン・チームotsune・究極のネットウォッチャーotsune神といったキャラクターが確立されていた。
この神だが、敵対すると忘れた頃にタタリをなすを信じられている。
数カ月後、あるいは数年後に、過去発言との論理矛盾を付かれてグサリとやられるのだ。
村民はこれを恐れて、otsuneさんに対する批判的な言動を避けてしまう。


要するに、普段ネタ化して割り振っていた役割によって、otsuneさんは村内で批判をしにくいキャラクターになっていたわけで、このへんが「こういうの、いけない」と指摘しにくい空気を生む一因となっているように思える。

で、シロクマ先生はこのotsune神ネタ化に関して、一役買っていたと僕は認識していて、その認識が原因で件の記事を読んでどうもしっくりこないものを感じてしまった。


後あれだ。
「二十歳の若者」なら、言えばまだ「変わる」可能性が高いから批判のしがいがあるけど、「アラフォーの立派な男」はネット上で第三者がどうこう言っても、もう中々「変われない」よなぁという諦観のようなものがあり、批判の張り合いがないです。
本人が命の危険を感じ、車に傷をつけて、それなりに心理的ショックも受けているだろうと思うと、この状況で第三者がなにか言っても、あんまり状況変わらないだろうなぁとかも……
事故の経験で既になにか思うところがあれば、批判するまでもなく、「変わっている」でしょうが、何も感じていないのなら、ネット上であれこれ言っても「変わらない」んじゃないかなと思っちゃうわけです。
そうすると、ますますはりあいがないんですよね。


今回の件は食物連鎖を連想しちゃうんですよね。
1.マジレスすることのインセンティブを低下する環境がコミュニティ内に既に形成されており、相対的にネタ化するインセンティブが高まっている。
2.しかし、ネタ化に走るとメタ視点で一網打尽にされて「維新値大低下」する未来がまっている。