僕の蔵書の中に、脳性まひ児の水泳という本がある。
杏林書院
この本は障害の度合いや成長に合わせた細やかな指導法なんかが書いてあって個人的には大変意義深いものだと思っている。
だが、児童の水泳指導の本である以上、そこには多数の児童写真が掲載されている。
解釈しだいでは僕は100枚近い児童ポルノ写真を所持することになってしまうのだ。
僕は被爆者の人の体験記をまとめた『原爆の子』の初版も持っている。
上半身裸の男児が表紙になっており、男児の裸も児童ポルノに該当するという自民党案が通った場合、僕は児童ポルノを所持することになりかねない。
だが、僕はこの本を捨てる気にはなれない。
僕の部屋の押入れには買ったっきり読んでいない本が山のように置いてある。
その多くは一束いくらのセット販売で購入した本であり、目的の本を抜き出したきり放置してあるものだ。
少女小説とハードゲイ写真集と哲学書と絵本がセットになっているようなカオスな売り方をされていたものなので、何が入っているのか想像もつかない。
児童ポルノを所持しているのかどうか、自分自身が把握していない状態だ。
タンスの上にはダンボール一箱分のビデオテープがある。
死んだ友人の形見分けに貰ったもので、NHKの教育番組的なラベルがはってある。
友人はそういうものを見る人間ではなかったので、多分偽装されたエロビデオなのだろうが、僕の自宅にはビデオデッキがないので確認したことはない。
ここにも児童ポルノが混じっている可能性がある。
蔵書も5000冊近くある。
これを一々チェックして回るのは時間的に不可能だ。
僕は児童ポルノの単純所持が禁止され、三号ポルノまで厳密に取り締まられた場合、究極の三択をしなければならない。
- 休日を年単位で返上して所持している本、ビデオをすべてチェックして回る
- 逮捕されて社会的に殺される
- 本やビデオをすべて捨てる
どれも大変不幸な未来だ。
人生に対するダメージが大きすぎる。
ところで遡及法って憲法上問題ないのだろうか?