学業において数学は0点だが、英語は100点の人がいたとする。
この人の評価は
- 「馬鹿」
- 「数学はぜんぜん駄目」
- 「平均して普通」
- 「英語において優れている」
- 「優秀な学生」
- 「数学は駄目だが英語は優れている」
のどれが妥当だろうか?
鳩山内閣についてのニュースやそれに対する記者クラブ問題について読みながらそんな事を思った。
cf
新政権発足にあたって新聞がまったく触れていない重大なことがある。
それは歴代民主党代表が約束してきた「政府会見を記者クラブ以外のメディアにも開放する」という方針が一部メディアの圧力と党内守旧派によって握りつぶされたという事実である
新聞が書かない民主党の「公約破り」 (山口一臣の「ダメだめ編集長日記」)
or
集まった報道陣は約300人。原稿を見ることもなく、正面を見据えたまま、ゆっくりと語りかけるように言葉を選んだ。「歴史は本当の意味では変わっていません。これからの私たちの仕事いかんだと感じております」。改革への強い決意を表すように、笑顔は封印したままだった。
選択のあとに:09政権交代 鳩山内閣発足(その1) 笑顔封印「辛抱強く」 - 毎日jp(毎日新聞)
この会見の評価や民主党政権の評価はどんなものが妥当なのだろうか?
閣僚や首相が原稿なしでスピーチをしている点を重視し、国語力の欠如や官僚作文の朗読疑惑で騒がれた麻生元総理との違いを明確にした点を重視し、政治的に大成功だと見るべきだろうか?
「公約」である会見開放を成し遂げられなかった点をあげて、公約違反として政権として失格扱いにするのか。*1
はたまたその中間か。
ネット上においては、公約違反=即失格的な意見も多いようだが......
僕個人としては、一つや二つ悪い所が見つかったら総合評価として「失格」をつけることに違和感を覚える。
各論が即、全体評価に摩り替わる雰囲気は危険に思えるのだ。
このオセロゲーム的評価法、ネット上で広がっているようで少し怖い。
*1:そもそも記者クラブ問題というのは、0点か100点かで評価する問題なのだろうか?政権終了時に多少なりとも改革が進んでいれば部分点が貰える分野なのではないかとも思うのだが