本気で受験勉強して、大学も結構勉強して、大学院でも勉強して、社会人になっても仕事でそれなりに成果出しているという認識を持っていますが古文漢文が役に立った経験は少なくともありませんね。他の学問は役に立ってますが、漢文については眠いときに「春はあけぼの」というくらいしか使ってない
— シャイニング丸の内 (@shimaru365) 2018年2月20日
最近、会社で求人を担当することがあるので、若い人のキャリアや教育についてあれこれ考えることが多い。
その上で2018年2月時点で古典・漢文についてどう思っているかをメモっておく。
(Todo いつか考えがまとまったらちゃんとした文章にしてする)
現時点の個人的見解。
日本の古典についてはさておき、漢文についてはもしかしたら現在とは価値が変化する可能性があるのではないかと思っている。
経済力の逆転によって、これからの世代は中国企業の下請けになって知性や能力を中国人にジャッジされる人の割合が増えるのではないかと予測しているからだ。
(もしくは人ではなく中国企業のAIに評価される未来かも知れないが)
今の20代以上の人が近隣の大国、中国文化について意識せず過ごせたのは、これまで日本が彼らに経済力で勝っていたからではないか。
経済で勝っていたから、中国人のほうが日本で仕事をするために、語学学校に行って勉強をして我々に合わせていた。
だけど今後は、経済力に劣る日本人が、仕事をしてもらうために中国に合わせる側になることは避けられないのではないか。
(今の日本人がキャリアアップのために英語を学ぶのと似たような状況)
もしかしたら、今後の日本の若い人たちは、相当数が出稼ぎ労働者になって中国で働いているのではないかとか
その際漢文(そのものよりも中国古典)の知識の有無で、現地で教養と知性ある人間として扱われるかどうかが変わったりしないのかとか
いや、そもそもRPA等の事務botや無人店舗等の進歩により出稼ぎ自体を拒否られるのではないかとか
この可能性は学生時代の一定期間を費やすのに値するほど大きいのかとか
中国古典と教育についてはあれこれ考えて悩んでいる。
とりあえず前提条件が変わりそうなテーマにおいて若い世代が上の世代の経験を参考にするのは危ない気がする。
だから僕は自分より下の世代に、漢文なんて人生の役に立たないよ、と伝えることに抵抗感がある。
今まではそうだったかもしれないが、今後もそうであり続けるとは限らんぞと思うし、
そのアドバイスにより勉強を放棄したことの責任を自分が負える気がしないからだ。
(21世紀における接待ゴルフポジション候補?)
(李白の送友人などの飲み会で使えそうな漢詩を一つ中国語で暗唱できるようにしておいたら、人生で一度くらい役に立つ場面があるかもよ的なことは言いそうな気がする)